社伝によれば、神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐から凱陣のおりに、山口県長門市から摂津国難波津に向かわれる途中、忍熊皇子(おしくまのおうじ)が挙兵されたことを知った神功皇后が自ら弓矢甲冑をご奉納されていた熊野三山を斎奉し、絶え間なく必勝祈願をなさった。
熊野三山の神々はこれに呼応してくださって忍熊王は戦に大勝し、御子ご誕生も健やかに御成長されたという。それによって御子を応神天皇と崇め奉り、その後も様々な願い事が思いのままに成就されることになった。
この神話から弓弦羽神社の背後にそびえる秀峰を弓弦羽嶽と言い、六甲山とも呼ばれるようになった。神功皇后がこの地の泉に御姿を写されたことで、この地を御影と呼ばれるようにもなったと言う。
亀山天皇の時代には、諸国に荘園を設けて郡司を置き、この御影にも郡司が置かれたことから、郡家と言う地名にもなった。
かくして弓弦羽神社は「郡家」「御影」「平野」の3地域の総氏神になり熊野権現宮として親しまれてきた。厄除開運、諸願成就、子供育成守護の神、熊野権現みちびきの宮に由来する必勝祈願守護として、広く崇拝を受けるようになった。